シンユニバース

シンウルトラマンのネタバレ

 

【シン・シン・シン】

タイトルテロップからシン・ゴジラとの並行世界ないしマルチバースの物語。
メフィラス星人とのブランコは、シンジとカヲルくんを彷彿とさせ。
竹野内豊については、もはやシン・ゴジラの住人。
シンウルトラマンは、神のようなものという示唆。神にすべてを担わせようとする人間の業。
それと同時に、ベータカプセルのチカラを人間の英知で解析し、ゼットン打倒案を組み上げるのはシン・ゴジラヤシオリ作戦とかぶる。そして、それはガイウスの槍。

今回は、日本ということもさることながら、「地球人」という存在のピックアップが強かった。
メフィラス星人ゾフィー(星の国に命じられて殲滅兵器「ゼットン」をアクティベーションする)
どちらも、人間という生き物の「価値」に目をつけ、人間がベータパワーによって
巨大化すれば、兵器転用しうるという「巨神兵」そのものになりうるのは人間なのだ、というメッセージと
それ故に、地球は危険なのだ、という筋。
メフィラス星人のベータパワーのコアみたいなものが使徒のコアに類似。
おそらくエヴァでいうインフィニティ化。
逆を言えば、人間というものの、生命として(ウルトラマンも同じ「生命体である」と語ったが)の
価値を大切に思う、そういう人間愛のようなところに落ち着く。
人間の英知を大切に、絶望に屈しない、神に自分の価値を依拠してはいけない(これはある種のキリスト教批判であり、マルチバース世界における八百万の神としてのシンユニバースとも言える?)
シン=真 それぞれの物語の本質を新約する、それぞれの神々の物語。

 

僕が僕であるために
ゴジラウルトラマン仮面ライダーエヴァンゲリオン。この4つのユニバースを映画として観ること=
すべて元コンテンツが本質まで一度掘り下げられ、シン・ユニバースの哲学で再度組み上げられた、パラレルであり、一つのものを多面から覗くような体験、そういうものなのだと理解し始めた。
「シン的な中身」で串刺しし、それぞれの世界の登場人物と観客が体験するもの。
だから、きっと私達はすべてのシンで同じようなことを体験する。シンジとして。

そして、シンシリーズで庵野が言いたいことはもう決まっているのではないか?
どの並行宇宙でも、
「人間が人間であるとはどういうことなのか?」
「人間、そして強いて言えば日本人である私達ができること、私達はどんな未来をつくっていくのか?」
絶望して落ちてゆくなら、希望があったほうがいい。
これは、希望は残っているよ。 ... どんな時にもねのカヲル君ともかぶり。
シニシズムに負けない、プロパガンダ的に与えられたりしない「生きる希望」。
今必要な物語ではある。
庵野ー樋口にとってのそれが映画なのだろうとも思う。

シン・ユニバースは、少し露悪的に「教育テレビ」的なニュアンスを感じる。
今回の教育テレビ的部分は「ことわざ」
外星人の言葉を通して、私達が学び直すこと。言葉の歴史は、群れの歴史でもあるわけで。
シン・エヴァでは「ありがとう」「さようなら」という挨拶に含まれている意。
誰かとつながるための言葉を大切に。
シン・ゴジラでは「政治」という私達の社会の意思決定について。社会を作る「市民」の話。

【CGでよかったのか、庵野

ただなー、CGだけ違和感がすごかったな。TV版のウルトラマンの、絶対作り物だけど
本当の爆発とか、手作りのものが出せる独特の生っぽさ。これは特撮の命でもあると思う。
特撮博物館の意味よ…。
「どうせ作り物、言いたいことはメタ的なこと」みたいな開き直りなのか?っていうくらい怪獣に薄っぺらさを感じた。樋口よ、ガメラでできて、なぜウルトラマンではできないのか!!G3のイリス的なことなんだよな。違和感。