レス

今日は池袋にて友人に仕事を依頼がてらいろいろ情報交換。
彼女はインスタレーションを作りながら浅草でホステスをしている。ホステスキャラじゃないところがツボ。
尚且つドレスとか、髪を盛るとかいう発言が面白すぎて吹いちゃった。とにかくおもろい。黄金比は後付けとか。

テレビを壊すとかって見ていて何か一瞬快感だけどその後不快感をもたらす。
その一瞬だけあればいいんだけどね〜。という話をする。痛みレスな感じ。
年下の子達がとにかく痛みを嫌がるなぁと思う。できるだけ、面倒くさくなく、怒られたくないし、出来るだけ他人とも当たり障りなく幸せですが何か?みたいなことをよく言われます。求めなければ痛みがない。
痛みレス。
ふ〜んって感じだけど何か釈然としない。

ホンダがF1から撤退するらしい。大規模なリストラではなく、金のかかる事業から撤退することで従業員を守ったとも考えうる。あるいはリストラとともに。主幹のものを維持するために切るものは企業によってまちまちかと思うが、企業のメセナ活動や芸術支援への出資が減る可能性は大いにある。トヨタはコレオグラフィーアワードという振付家のコンペを主催しているし、アサヒビールもアサヒアートスクエアを軸にした舞台表現へのアシストを行っている。
新国立劇場だって沢山の製造業の会社から支援をうけ、プログラムを製作している。
社会貢献をうたい、芸術振興ともいいながら、芸術家たちは支援先を求め、製作している。支援があってもすべてのキャスト、スタッフが潤うまでにはなかなか至らない。
社会貢献足り得ているのかは人によって判断が分かれるかもしれない。
表現活動、芸術も経済なのであり、政治的でもあるのだ。そして個人の生活でもある。
いっそ芸術そのものを大々的に観光資源化して文化産業を外資によって落ちてくるお金でまかなってみるのはどうだろう?
つくづくアーティストという職種はギャンブラーだ。

建築家がコンペに出した建築プランはプランだけでも作品として評価される。コンセプトやその造型に対しての評価だ。伊東豊雄のプランも美術館に納められているそうだ。
アートマーケットが勢いづいているため、芸大でも『もの』志向が強まっていると聞く。
身体表現はなかなかキャストの替えが聞かないし再演しづらい。なかなか世界ツアーにもでづらいし、コンセプトだけでは話にならない。ソフト化しても売れづらいのも現状。
日本のフェスティバルも小粒で海外のマーケットになかなか売りこめていない。日本のシーン自体のユニークさは海外では認知されていないのだろうか?
フェスティバル/トーキョー
楽しみにしてるんだけどね実際(笑)
リミニプロトコル白井剛の新作楽しみにしてます。