タダ乗りが悪いわけじゃない

日本中のプロオケや、吹奏楽団で常設の人数がとても減っているのではないかという話を聞く。3つの集団に分かれられるほどの人数を擁するオケはさておき。
今までもある一定数入っていたであろう、エキストラ(トラ)だが、
いつの間にか、どこのオケにも呼ばれているトラ、というの優秀な人が現れる。
ノーブルで、どこのオケや、ブラスに呼ばれても、邪魔にならないどころか、よい相乗効果をうむ人物もいそうである。

気になるのは、歴史の中で培われた集団としてのオケのカラーや、オケのサウンド、あるいは音楽性は、メンバーの半分がトラになってしまったとき、どうなるのか?
コンマス人間性の中に?
古くからいる団員のプライドの中に?
エストロの中に?
あるいは団体名でくくっているだけで、中身は同じ?(まさか…)

一般企業だってそう、パーパス経営と言われているが、パーパスを共有できない、フリーライドする従業員がいたら?その人とはどうパーパスを共有するの?
パーパスの共有や、社是などの共有がお互いにめんどくさいから、きっとフリーライドして、どこでも使える人間になるのが、逆にクリーンな道なのかもしれない。
洗脳されず、あくまで自分軸だけで生きる。
働くことに対して、そんなモチベーションないのかもしれない。お金くれればよいよね。

そんなふうに、みんなが無頼派になっていくとき、どんな人間が組織に残るのか?
そして、組織とは今後、有り続けられるのか?
会社は「マネジメントとお金を払う事務局が本体」みたいにもっともっとなっていくのかな。そのときに、その集団の価値って何に現れるのかな?

気になっているのは、集団だから《引き出されあう》という考え方はもう古いのか?
ということ。集団が練り上げる音楽、作り上げるものに、個人的に興味があるから、だけれども。(考えるメモとして)