2023年の吹奏楽コンクール選曲について

2023年のコンクールも支部大会までが終わった。
結果の一覧を見ながら感想をメモ。

■天野×天野作戦は失敗?
課題曲に天野正道さんの作品《レトロ》が選ばれ、自由曲にも天野正道さんの曲を選ぶ団体がいくつかあったようだ。プログラミングとしては、ナイス!と思うが
全国大会で課題曲3✕天野正道自由曲の団体は見られなかった。
そして、天野正道を自由曲に選び、全国大会に出場する団体は、なんと1団体。
と同時に、天野正道編曲のイベール《祝典序曲》が2団体。
天野×天野、よっぽど考えないとかなりクドいのかも(というのとモチーフが共通のものが多いためか?)
来年、酒井×酒井も、やめたほうがいい⁉

■福島・高・樽屋・長生の時代
2023年の全国大会では、
島弘和:8団体
高昌帥:7団体(5団体が「陽が昇るとき」)
樽屋雅徳:7団体
長生淳:5団体 となっている。
オリジナルは、スパーク:5団体(4団体が「ドラゴンの年」)
アッペルモント:4団体(全部「ブリュッセル」)、フェラン:4団体。

邦人作曲家作品が、課題曲的な自由曲化し、ループし続けている流れは変わらず。
一方で、レスピーギラヴェルバルトークが息を潜める年になった。
スペインの樽屋雅徳(冗談です)、フェランが4団体。

■新曲に活路を見出すか?過去に遡り「今」は誰もやらない曲を選ぶか?
今年、全国初お目見えの曲もざっくり見ていこう。

・O.トーマス/「カムサンデー」は、2022年の百萬石ウィンドが選び話題となった。
ゴスペル調のサックスソロ、ノリノリの後半。どんなカットになっているのか楽しみ。
・周天(Zhou, Tian)/「シンフォニア」より。よく見つけてくれたぞ光が丘!周天は、petals of fireも名曲。
坂本龍一のエルマーメディテラーニ(El Mar Mediterrani)はバルセロナオリンピックのテーマ。亡くなった坂本さんへのリスペクトも感じる選曲。ホース、回すのかな。
・芳賀傑/「彩をえがく鳥」やっと、全国に芳賀さんの曲がやってきます。「水面に映る〜」で吹奏楽界からはいわゆる「推され」だった芳賀さん。なかなかコンクールの自由曲としては、評価されにくかったようですが、「彩をえがく鳥」はどんな演奏になるか?これもカットが気になる。
J.M.デイヴィッドは、「過ぎ去りし年の亡霊」から始まり、ひたひたと演奏回数が増えている作曲家。木管が連符、金管が高い音!というのが基本線です。

O.トーマスとJ.M.デイヴィッドは、BLMや、ジェンダーの問題、環境変化についてなど、社会的な題材を用いることも多く、時代を照らす作曲家としてこれからも注目されていきそうな気がします。日本で言えば、伊藤康英路線。ゴーフォーブローク、ピース、ピース。団体のもっている個性にもフィットするのだろう。

今年、私を驚かせたのは、学芸館のアルメ(21年ぶり)、開智アカデミックのヴァレンシア(23年ぶり)、大曲のネルソン「パッサカリア」(全国初)、日進中の「天国と地獄」(17年ぶり)だ。
選曲の意図はなんだろう?
・指揮者が得意だから。
・名曲をやっぱりやりたいから?
・どこともかぶらないから。
どの理由を持ってしても、非常に戦略的なチョイスだと思う。果たしてどう評価されるのか?っていうか評価されなくても、今この曲を全国で聞かせるということがそもそも意義深いと思う。
20年前からの呼び声…。今の時代は逆に、新鮮に聞こえたり、スコアの素晴らしさに気づける良い教材ではありそうな気がする。

■来年は?
西村朗先生の秘儀シリーズの見直し。
樽屋雅徳の過去作のリバイバルバージョンの流行。
島弘和のシンフォニエッタシリーズの安定的な流行。

方向性としては、

1.大きすぎる編成でしか効果が生まれにくい曲の排除↔小編成で効果的な曲の増加
2.難しすぎる曲の排除↔中高生が感情移入しやすい曲の増加。
3.仕上げられる曲(過去に仕上げた曲)の増加↔音楽的な個性をもった曲の排除
という対構造がより進むだろう。
楽譜屋の目論見にちゃんとマーケットが動かされている証拠である。

いつも思う。自分でちゃんと探そう。
最近、とんでもないことを考えているのだけど。
実は「曲」では勝ってないのじゃないか?と。
もちろん、「曲」の持つ難易度が、ある程度の技術点の底上げになるとは思う。
最後は「曲」が持つ音楽的なチカラ、という話も聞く。
が、基本的なことができている学校は大体、どんな曲でも勝ってないか?
ある一定以上の難易度や実績がある自由曲であれば、よほどのことが無い限り、
ちゃんと音が並んでいれば、勝てるんじゃないかなっていう暴論。
その「基本的なことができている学校」というのが、
実は「基本的なことができている中学校から、生徒を大量に買っている学校」ということだったり、
「基本的なことを、ある一定の地区内で、小学校ー中学校ー高校という流れで作ることができている学校」ということだったりするのではないか?
あるいは「基本的なことを一瞬で教えられるコーチを買う学校」なのか。
そういうビジネスなんだよね、俯瞰してみると。
だからこそ、そういうビジネスの中にいない私は(あるいは私たちは)
何をやるかちゃんと自分で、(あるいは自分たちで)
考えていこうよ。って思う。逆に勝つなら、
上記の3つのどれかを実践できる、お金・人材・地域を作っていかないとたどり着かんのだろうな。