社会に対して怒るとか、声をあげるとか、結構好きじゃないっていうか興味がないと思っているんだけど、もしかすると本当に怒るか、パラレルに別の暮らし方を用意しておかないといけないんじゃないかと思ってる。にぎやかして、かもしてるだけでは、だめなのかもなって。

世代で、考え方がぜんぜん違う。
バブルを経験した世代とそうでない世代でも全然違うし
僕らはずっと不景気で、景気がいい日本をしらないけれども
一貫して、「まあ、なんとかなる」世代なのかな。
報酬は入社後平行線です。

震災があって、たくさんの尊敬するアーティストもなくなっていって
暗いことばかりじゃないけれど、なんか「本当にダメなのかもしれないな」っていう覚悟を促す何かを
感じる。

ここ数年、なにかの世代交代とか新陳代謝なのじゃないか、と思わないとやりきれない。

何か、日本という国がちょっとずつ、なんか、すごくダメになってきたツケの本質が
私達に、グッと押し付けられていくような気がする。

グリーンズというところが出した「ソーシャルデザイン」という本。
2002〜2004年くらいに、親友とずっと話していたこと、調べていたことが網羅されていた。
思い出した。いろいろ。
「自分ごと」であること、make authenticity

デモとか嫌い。
原発とか、すごくダサイ。大事なことだって分かってる。
世の中、変わらないし、変わった世の中に責任持てない。
ん?誰が責任を持てと言ったんだろう。
誰かの意思で確実に世の中が、変わるなら
私は、誰かが生きていくのに誠実な意思を持っていたい。

今、友だち数人と「国家」(プラトン)を読もうとか、いろいろ世の中のことを話してみようとか
ってことが始まっている。
今週末は、生まれて初めて自分で火を起こし、ストーブを作る。

いっこいっこ、何かを取り戻すかのように、生きることを自分ごとにしていくことをしてみたい気分。

でも、怒ったほうがいいのかもよ。
Don't look back in anger







三十二歳の別れ
東京事変