コンテストで何が選ばれているのか?

今年も吹奏楽コンクールは地方大会が終わった。もうすぐ全国大会。
地方大会ではどんな曲が演奏される傾向にあるのか、調べてみた。
(数値は、書き手による独自調査で不安定な要素を含みます。)

→クラシック編曲の名曲、オリジナル作品は、大きく循環しており、
275曲(2017年各支部大会・重複をのぞく、新曲を含める)の中からしか選ばれていない。/支部大会出場団体数:667団体
2017年もっとも演奏されていると思われる曲
・富士山 〜北斎の版画に触発されて(24団体)
・シネマ・シメリック/マインドスケープ(各14団体)
【クラシック編曲】レスピーギラヴェルプッチーニ、R. シュトラウス 寡占(バルトークがやや減、ショスタコーヴィチベルリオーズがやや増)
吹奏楽オリジナル】高昌帥、天野正道、樽屋雅徳、福島弘和、保科洋 寡占

ここ数年の高校強豪校の「天野びいき」によって、全部門において天野作品が取り上げられ、
また、その裏を読んで? 2000年初頭にブームになった天野作品もリバイバル
双璧をなすのが高昌帥。もはや、マスターピースとなった「マインドスケープ」から、
バラッド、協奏曲、サンサーラと近年強豪団体が演奏した曲がかなり広い裾野で取り上げれた。

一方で、
P.グラハム、J.マッキー、O.ヴェースピ、F.フェルランあたりに活路を見出す流れも見られる。
NBA作曲賞、European Brass Band Championships、WASBEレパートリーなどを
横目に見ながら、国際的な新曲開拓を目指す方向性。これは音楽監督の考え方にもよるでしょうね。
→最近は厚いtuttiよりも、薄めのオーケストレーションで内向的な曲も多くなってきているように感じるが、
基本的には、いわゆるブラバン的なニュアンスのものも多い。

スミス、バーンズ、スパーク、ローストがやや落ち着き気味。なぜかリードが復活気味。

オペラ編曲ものが一定の人気を持ったまま、
宇宙の音楽、スミスの流れがやや落ち着き、マッキー、P.グラハム路線の選曲に偏りだしている。
編曲もの(すごく昔に流行った曲の再発見を含む)か、邦人オリジナルの勝ち筋曲(寡占曲)路線。

275曲という曲数が多いのか?少ないのか?
また、自分たちにあったレパートリーとして、選曲筋が多いのか?少ないのか?
そんな中で、委嘱作品が増加しつつある傾向もみてとれる。
常勝を続ける団体にとって、コンテストに出続ける理由というのはだんだん進化するのではないか?
と考える。知名度、社会的な評価があがるにつれ、勝ち曲だけをやり続けるのではなく、
レパートリーを増やし、吹奏楽の可能性を広げ、若い作曲家を養っていくような、そういう親分的役割を
徐々に担うようになっていく団もあるだろう。そういったチャレンジを心待ちにしているファンも多い。
勝ち曲のルーティンの行き止まりの先に、何をもって表現していくのか。どんな曲によって、社会に音楽を問うのか?
これは、業界としてのチャレンジでもあるだろう。

なぜか気になったこと
例えば、レスピーギバルトークR.シュトラウスのようなちょっと音楽的に官能的だったり、
スケールが大きかったり、人間の苦悩みたいなものを含んだものが多く演奏されがちなのか?
と考えた時に、ふと思い浮かんだ指揮者(指導者)がいる。
サロメディオニソスの祭、三善晃ラヴェル、田村…。
新曲をいち早く開拓するトレンドセッターとしての役割から、「エヴァンジェリスト」として、
曲を「勝ち曲」にしてしまう魔法使いがいたなあ…と。彼の人生そのものが伝道師なのだな。業界スタンダードを作り続ける。
と確信してしまう。(本来の彼の真骨頂は自ら編曲したドビュッシーなのではないか?と思っているが最近禁じ手にしているようにも見える)
彼の選曲方針になんらかの意図を感じたりもする。
275曲のルーティン、それは彼の歴史、そして吹奏楽コンクールの歴史の積み重ねから
現れるノウハウの連鎖、にも見える。年老いた名指導者があと何曲、振れるのか?

最近、気づいたのだが、吹奏楽とは、日本的な教育の中で生み出された「合奏技術」のメソッドそのものなのではないか?
メソッドとノウハウが作る美しく統一されたサウンドを作り出すことが日本の吹奏楽の美徳なのではないか?
とすれば、それを生み出したのは、紛れもなく、彼と彼の仲間なのではないか?と。
その功罪や進化の形は、これからの人が考えればよく、多様にならざるをえないだろうとも感じる。

選曲もまた、たくさん選ばれているから、勝ち曲かといえば、それは確率としての話であり、難度より精度がものを言うのでは?とも考える。

もう少しだけ考えていきたいと思う。