未来記

震災からもう、2ヶ月半が経ってしまった。
ずーっと、「どうすればいいんだろう?」って思い続けている。
私は生き残った、という感覚が強くあって、
正直、僕の生活している地域は、ほとんど被災していない。2日間ほど停電し、その後ガソリンスタンドに長蛇の列ができ、コンビニは24時間営業をしばらくやめ、スーパーからカップラーメンがなくなり、
失業者がで始め、飲み屋街から一刻、明かりが消えた、くらいだ。だから生き残ったは言い過ぎだ。

隣の人のご親族が亡くなっていたり、家を失ったり、逆に、これを気に商魂たくましい企業が現れたりした。
飲み屋は、震災と原発の話ばかりになり、明るく振舞っているのだけれど、どこか暗澹たる重たさがしばらく影の奥でゆらゆらしてたと思う。

そして、エネルギーのこと、つまり電気のこと。
政府のこと、私たちが生きているこの社会ということについて、直面させられた気分がしている。
911インパクトにどことなく似ている。
でも911より圧倒的に身近であり、自分の問題として、この震災は日常に織り込まれはじめている。

今思っていることをメモしておきたいと思う。
1. 私は生き残って、大仰な社会は、あまりに脆弱だ
2. 私は、この社会に生きている。つまりこの社会を選択している
原子力発電を今まで容認し、無能な行政を容認し、市民として何を選ぶべきか考えていなかった。
3. この地域にある市民活動は、基盤ができておらず、市民活動、NGONPOが本来的な「社会貢献」を行うに体をなしていない。そのためボランティア活動、復興が遅れる
4. ソーシャルメディアは、一面とても便利だが、情報が断片的であり、たくさんいる個人が情報の発信源になれてしまうため、情報にしきいがなくなってしまう。情報は氾濫し、とどくべき情報が届きにくくなる。
それ以外のメディアも、網羅的に情報を掲載するには、紙面が少なく(この震災が生み出す情報は日々膨大である)伝えきれなかったり、隠蔽されたりする可能性が否定出来ないことが明確になった。
5. 今求められるのは「社会にとって自分の善がいかに最大化できるか」ということではないか、と考えている。
6. 復興とは、今までの生活を取り戻すだけではなくて、この震災をうけ、次の世代が、生き抜いていくための社会装置を作って残すことである。
7. 自分の持ち場を、きっちり持っているべきだ。自分がどう役に立つのかはっきりする。それは日常から問われていること。それをきっちりやってきた人は、震災後すぐに動いた。自分の思いを、形にするすべを絶対に持っているほうがいい。自分の持ち場からできることをしっかりできるから。根無し草は、情報の氾濫と、たくさんのストレスの流れに、押しつぶされて、思考停止する。
8. 善意の押し付けをしないこと。善意の厚塗りをして、自分が何かをした気にならないこと。
9. UNITすることは、大事なことだけれども、イデオロギーみたいにならない感じでいけないかな。支援プロジェクトが分断された状態で継続されるのではなく、プロジェクト同士も連携されていることは大事なように思う。いい発想を持っていたら、それはできるだけ、社会にとっての財としてみんなで暖めていければいいのに。と思う。
10. 子供たちは、この社会にとっての一番大きな財産だ。だから、彼らの未来、彼らの選択肢を奪うような社会であってはならない。
助けたい、生きて生きて、生きてほしい。それは震災前から思っていることだけれど、みんなの当たり前はこんなにあっという間になくなってしまって、20000件の死傷事件がほぼ一日で起こるなんて。


権力はいつでも横暴であり、市民はいつでもバカをみる。
そんな社会はおかしいんだと、思います。
正しい民主主義が行われるべきだと思います。

そして、僕の生きている社会は隅々まで、本当に隅々まで、知らない誰かの生活が入り込んでいる。
今日買ったビール、ホップは誰がとったの?それをだれが醸造し、だれがパッケージデザインをし、誰がコンビニまで運んでくれたの?コンビニで陳列してくれたのは誰?
ひとつの商品、商品価値が作られる過程に、どれだけたくさんの家庭が、どれだけたくさんの利権が絡まっているのだろう、という想像力は途方も無い選択を経て、今、ビールを飲んでいるという事実に連なっている。
原発を一個止めることで、どれだけの家庭の日常を奪うことになるのだろう。
原発を使ってエネルギーをつくることに寄りかかっているマフィアみたいな利権をいつ誰が認めたんだろう。
みんなが、認めたんですよ。それは間違いなく。
選択ということは、大事なことなのです。


ソーシャルブレインズ入門という本を読みました。
社会脳についての本です。
是非読んでみてください