盆暮夜

圧倒的につまらない。
現在、現状がつまらない。
どっちかっていうと「気に入らない」
今、自分がつまらない。恋をしようかな。


5ヶ月がたった。
状況は緩やかに悪くなっている、という立ち位置で考えている。
状況はどんどんよくなっている、という立ち位置で見る人にとっては悲観的すぎる方向から物事を見ている。杞憂でありますように、と思う。
僕の住んでいるところの公表されている線量は全国的にみるとすこぶる低い。
北海道よりも低いので、逆に心配だ。
そこまで線量の低い土地で育った藁からセシウムが出てリするんだろうか。
確かに、面積は広いけれども…。

目に見えないからこそ、本当に恐ろしいことだと思う。
毎日のように、チェルノブイリ事故から25年目のドキュメントや、残留放射能の影響についてのブログ、知見、映像などを探して見ている。
全体比でいけば、実影響は少ないことになるのかもしれないが、その影響は間違いなく続発するだろう。そして現在も進行中であること。

言い出したらキリがない、そんな事言ったら何も食べられない、暮らせない。
と言われる。
でも、具体的に食べるもの、住む場所、仕事の代替案を考えなければならないタイミングなのではないか、と思っている。

世界は決して、終わらない。
終わるとすれば、この文明くらいのものだろう。そして、この文明も延命を続け、
生き延び続けると思う。ゾンビのように。

世界は終わらず、人も生き続けるのであれば
生き続けるのが嬉しい世の中であってほしい。そうしたい。

世界が終わらず、破滅も来ず、
生き延び続けられるだけの意味が、人にあるなら
全力で、誠実に全うし続けたい。

人の生きてきた道や、努力や、苦労や、その血や髪や、肉や骨が
何の気なしに否定されたり、踏みにじられたりするような世界なら
ちょっとでもよくするしかない。

はなしは変わって。
風評被害に対して、的確にそれを打ち消す方法を探しています。
やはり、一個一個の生産物に対して線量測定と、それを証明する何かを用意するのがいいのかな。そこにはやっぱりコストの問題がかかわってくる。

今日、スーパーで茨城県産の桃が売っていた。やはり手に取れなかった。
今は1μSVにも満たないところなのにちょっと心配。
被害を受けている地域のもの、やっぱりちょっと買いづらいかなあ。
体への害はないのだろうけれども。

この恐怖の根本はなんだろう。
・内部被爆の危険性が、情報として届いていないこと?
・どれくらい被爆した食べ物なのかわかっていないこと?
放射線の単位が実質どれくらい体内に影響するのかわからないこと?
・安全宣言が出されていないこと?

もっと大きくいえば、情報への信頼が落ちているからという理由がある。
メディアも隠蔽、政府も隠蔽。ごまかされたり、うそをつかれたりしている。
だから信じることが難しくなってきているのは、皮膚感覚的に事実だと思う。
であれば、自分で判断するしかないか。
判断材料を何に求めるのか。
エステーガイガーカウンター、10月発売らしい。買おうと思う。