ものごとが伝わるってどういうことだろうか?
今日見たお芝居が本当につまらなくて、何が問題なんだろうなと思った。
つまらないって言ってしまう自分が悔しくて、構造を書き出してみたけど、
やっぱりつまらなかった。
ポツドール的な。2016年になぜ今ポツドールみたいなことをやるんだろう。
自傷系の、セックスの。
しかも、ポツドールは、素晴らしく炙りだしてみせたことを。
なぜ、学びもせずに劣化したものとして、表現して見せているのか。
自己承認的な。自閉した空間。
今の子達はもっとおしゃれにやったりすんじゃないの?田舎だからなの?
底辺のリアリティ、みたいなものはもっと進化している気がする。
ドキュメンタリー的なやり方、深堀りされた身体の有り様としてのやり方、
WEBの匿名性にあえて対抗するキャス的な自己発信の時間の有り様。
記号のスタッキング等々。
そう考えると、この作品は、美意識としても、観察眼としても弱いと思う。
病んでいるものの、そこそこ重たいリアリティというのは、
2000年代以降、一定のポピュラリティを持っているのだろうというのは理解できる。
存在の「位置」を認めづらい時代ということなのだと思うし
私にも実感あることとして、思い浮かべられる。
このジャンルの定石は「自閉した空間に君がいてくれてありがとう」みたいなことであり
ある意味「エヴァ」的である。
ある一定の「若さ」の中にそういう世界観があることも認める。
「神聖かまってちゃん」的であるし、「大森靖子」的でもある。
元を辿れば(我々世代においては)かつての「椎名林檎」的であり、「銀杏BOYS」的なものでもある。
(この人達の素晴らしいところは、最終的に人間がもつ特有の美しさ、弱さへのまなざし、
傷つくものへの、高らかな鼻歌であるということ、と理解している。
この人たちは自閉した空間からは出てこない。物語空間を妄想でもって最大限拡張し
その世界に「あなた」を巻き込もうとする。)
厨二くささは、ナルシズムの発露でもあるし、それは表現として極めて原初的な風景だろうと思う。
肯定的にとらえる。
しかしだ。
散々っぱら、DISの対象になっている「リスカしたい系の彼女」
語弊なく言えば「死んでしまう系のぼくら」は、逆にスクールカーストを生き残る
たくましい戦士ではなかったか?
熱なんか持たずに、さっそうとググって解決していく鮮やかさ、クレバーさがあるのではなかったか?
底辺から発するアイデアとしても、伴わないものとして見てしまった。
死んでしまうのであれば、死をネタにしながら、
ゆんわりと、死をソファーにしながら、誰かと座ることに、ニヤニヤしていたほうがよい。
リスカしながら、投薬しながら、生き続ける喜劇感をツイートしながら、闘病したって
それは、その人の生き方として、許しうると思う。ふぁぼるよ!
話は遠回りして、
シミュラークル的なことを最近よく考える。
高校生アーティスト達。自分が高校生というタイミングだから売れると、すっと分かってしまった
アーティスト達。いい意味で合格点だよね。上手だよね。
flumpool、GReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズ。大ボスとしてのミスチル、ゆず、バンプ、RAD。
そういう文脈をキレイに整理したらそうなるよね。
歌も上手だし。売り方としてはバッチリだろうな。
ただ、売れそうな歌詞ダイジェスト。という感じ。
ここ20年間で蓄積した「ポエム」のデータベースを駆使しているような感覚。
自己啓発系のポエム。介護業界とか医療業界の自己啓発のために用いられそうな言葉。
コンビニで売っている対人関係マニュアルとみつをを足して、うまいことした、みたいな歌詞。
だからこそ、彼らのパフォーマンスの高さは素晴らしい。
カラッとして、息苦しさを通り抜けてしまっているような爽やかさも感じるし、
リア充のための賛歌という感じがする。だからこそ、私は疑わしく思う。
それっぽかったら、いいのかよ。って思いながら
お金がないから、ファストファッションで、それなりのトレンドを着ながら。
(縫製や生地がひどくとも)
世の中のロクでなさ、世知辛さに寄り添うような表現を求めながら。
オーラのないオリジナルは、ただ時代が違えば、オーラのあるオリジナルになるのだろう。
買い手が違うのだし。
いつまでも、小沢健二が王子様であるわけでもなく、今は伯爵なわけで。
椎名林檎は、女王様ではなく、タニマチをとりこにする女将なわけです。
食いつぶされないで、カヴァーされているうちが花と思う。
手をかけて、時間をかけた作品がもつ、独特の感じ。
レンジじゃなくて、火を使った料理がもつ、火の味。
迷うところだ。自分の感受性が受け入れられたその当時が素晴らしいと言いたいだけなのか。
「それっぽい」ものをやるなら、もっと騙してくれよと思っているのか。
ただ、きっとそうだなと思うのは、勉強しろ、練習しろ、本を読め、もっと音楽しろよ。
ってことなんだと思う。カッコつけてんじゃねえよ。自分の手汚せよ。ってなんか
きっと思っている。自分の言葉で、それを言ってくれよ。と思うのだ。
これが私達世代が特有に持っている「個性ある人間であれ」という教育のなれの果てだとしても。