QQQ:||

エヴァQをみました。ネタバレます。
巷で言われているループ説に乗るとして、
どうやったら、ループから抜け出せるのか
シンジはどうやったら幸せになるのかと考えてみたんだけど。

ゲンドウを殺すしかないんじゃないかと思う。
すべてのチルドレンたちによって、エヴァシリーズを破棄し、ネルフを壊し、
人類補完計画」のない世の中を選ぶしかない。
スターウォーズよろしく、ダース・ベイダーを倒すしかない。
レイにもお別れするしかない。
誰かの世界の中でしあわせになろうとするから、シンジは惑うのじゃないかなって。
シンジがそれくらい強くなれたらいいのに。
TV版の最終話って、そういう話だったような気がする。

Qの世界は、すべてシンジに向けてお膳立てされている。
あのラストは、ヴィレVSネルフの世界が延々と続くだけなんだろうなー。
妄想だけど、Qアスカは、レイと同じ、器なんじゃないかな。
でなければ、不死身。

サードインパクトの阻止。
ゲンドウ殺す、エヴァ全機を月に移設。エヴァたちは月で楽しくやる、とかね。

んで、エヴァの呪縛から解き放たれて、みんな普通に歳をとった姿に変わって、
カヲルくんとか超おじいちゃんで、シンジが一気にヤル気をなくすとか。
Qで一番衝撃的だったのは、エヴァの自殺未遂だったな。

14歳の国に、全員が住み続けられるわけではなさそうだから。
大人になる、といえばイニシエーション。そんな流れで強引に推察。
夢オチだけはやめてほしいな。

YOU can (not) REBIRTH

私は、と言えば 次のことを考えています。
元気です。
旅がしたいです。

(2021.3.9 追記)
このQの感想を補完する「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞。
最高だった。エヴァをリアルタイムで見ていた、今は大人になって(本当に?)しまった私たちが今直面している問題へ
そっと「生きるヒント」をくれるようなそんな、あたたかさにあふれたエヴァだった。
本当は、旧劇でやればよかったんだろうけど、庵野さん自身が、エヴァ(を作った自身)を乗り越えるために
必要だったモヨコさんやカラー、時間・費用・技術を考えれば、今しかなかったのだ、とも思う。

・親と子、受け継ぐこと
・受け入れること、許すこと
・受け入れるというのは待ち続けるということでもある。
・自分の人生を幸せにするのは自分でしかないこと。
・愛の形はなくならないで、どこかに必ずあること
・罪を償うこと

・生きるというのは、「ありがとう」「おはよう」みたいなおまじないをお互いにかけあうこと。
 エヴァファンに向けた「教育番組」。第3村(kredit /信用)。震災後の仮設住宅にも見える。人々は助け合って、暮らしを紡いでいけるということ。これは懐古主義ではないのではないか?

 誰かとつながること、働くこと、授乳、猫、お風呂。
 綾波(仮)は、何も知らない若者。現実の言葉を改めて鑑賞者に対して教えるような。
 世界はちゃんと動かしているのは、「現実のふるまい、言葉である」というふうにも見えた。
 このやり方は、宮崎駿的。庵野、大人になったね。

<壮大な親子喧嘩>
・衒学的、と言われていたTV版、旧劇場版から、あ、蓋開けたなという感じ。グレンラガン的な荒唐無稽なほうに振ったかなって。
 『コミュ障の親から愛されなかった息子=主人公』という、家族と言う単位の中でもっとも典型的で、困難な親と子の乗り越え物語。
 私たちシンジは、乗り越えられないと思って、無視したり、「乗り越えない」と意固地になっている「今」の物語でもある。
 父親っていつ「父親」になることを受け入れるんだろう。射精時にはそんなことまで考えてないと思うんだよね。
 だから子どもが生まれて、子どもってなによ?っていう気持ちは普遍的な謎としてあるのだろうとは思う。
 (そういう意味で、そもそも、見えないマチズモ的構造を持つ作品である)
<ただのアニメ、すべてanima>
・メタ的な要素(色指定の白黒線)や、ヴンダー内のスタッフなどに、カラーの実在の人を感じさせる演出。
 「アニメ」という産業が、生まれ故郷でありこの「エヴァ」のはじまりでもある宇部同様、現実(イマジナリーでない)世界
 と地続きの世界なのだというリアルさ。虚構を生み出す労働もまた、人の生きる世界なのである。アニメという産業にかけられたバイアス、呪いを「はたらく」と言う意味での平等性に着地させたい方向を感じる。
 ufotableなどアニメ産業界の雄たちも参加していたようで、宮崎駿らから受け継いだものを引き継ぐ「駅」としての庵野ーカラーの意思表明とも感じられる、産業を考え、経営する者としての切実さ。
<やさしさ>
ミサトさんが抱える夫+父から受け継いだもの(種子/人類以外保守計画)と、受け継ぎたくなかったもの(父の補完計画)を、自分の意志で乗り越える。まさに「ヴィレ」の物語。母としてできること。
・話せなくなってしまうほどの心に、本当に優しくサポートする第3村の人びと。絶望していても、くやしいほどにおなかは減るのだということ。その時のレイ。稲刈りしたかったレイ。
・見守る「ケンスケ」、ミサトを残し「自分たちも生きる」として去るヴィレクルー。鈴原妹たち「被害者」の独白。絶望を受け入れるなんてそんなたやすいことではないけれど…。自分を生きているからこそ、意志としてつながることができるのだという例として。

アニメってこんなことができるんだ。アニメって、こんなに人を励ましたりできるんだ。って思えた。ありがとう。
庵野さん自身が自分の出自やトラウマに向かい、社会全体の構造(不平等や構造的な格差)、コミュニティのあり方、働くことの意義、
そういうことを深く長い目線で考え続けた「生き方」の物語。これは、ある種の反戦映画でもあると思う。
人類補完計画というのは、すべての人が「平穏」であることを物理的にも、魂的にも意図して計画され、その一方でゲンドウが自分自身が最も会いたい人に会いたいという切実な願い(わがままでもあるけれど)をかけた「平和」と「愛」を意図された計画であるということ。
愛と平和は、常に矛盾してしまい、自己と他者は、つねに「違う」ということ。それを調停することの、難しさ。許しあうことの困難さ。
そういう「人生」の物語。サブカルではなく、もはやこれは、文化を創り出すこととは何か?という物語。

<気になったこと>
Twitterでネタ画像にされないほどに、どうイジっていいかわからない「レイ」のCG。首のないインフィニティ達の「リカちゃん人形」感。
・渚指令と「ループした世界」の真相
イスカリオテが、どうイスカリオテとして、生き残ったのか
・二人のアスカは、クローン。真希波は?
・え?黒き月って槍にできるの?え、槍ってそんなに簡単に作れるの?もはや槍の意味…。
・一人で、インパクト起こせそうな人がいっぱいいた(特にアスカ)