コクヨ

新年明けてしまったが、まったく2016年からの地続きである感が拭えない。
ちょっと思ったのが、もう「明けてしまった」ことに強引にして、
新年、NEWなんだもん。って感じで、強めに新しいことを考えるためにお正月はあるのかもしれないということ。
もっと、生まれ変わった感じに、あけましておめでとうございますって言っていた気がする。
昔。
SNSの「今年○○みたいなことをしたい!」みたいな鼻息荒い投稿をたくさんみて、
お前、○○みたいなこと以前にさあ、と思うことがあったりもし、おとなしくしている。
理論、理念を語るのは大いに結構。素敵です。
でも、わたしは中身、現実をいかに動かすか、そのために何に時間をかけているか?をよく見ている。
ってか、普通の人はよく見ている。業績だけでなく、向かい方についても。

嫌いな人もたくさんいるけど、嫌いな人でも「よさ」がある。
その中身はちゃんと冷静に評価しているし、伝える。嫌いだけど。

2016年は、好き嫌いのことを自分なりにすごく厳密に考えていたなと思う。
なんでもかんでも好きになる必要もないし、嫌いを好きになる努力よりも、好きをもっと好きになるほうが自分に
向いている気がしたから。
かなり排他的にみえたであろう、ジャッジがいくつかあったし、それは申し訳かったけれど。
それによって、自分が、かなり浮いた存在になりつつあることを、自分でも認識している。
なんていうか、わたしの中で確かなものを積み重ねたい時期だったと思う。
わたしなりの「よさ」がどうやったら、表現されるかに対して、内面化していくような時期であった。

今年は、自分で自分の生き方を「うん」として選んでいく年にしたい。
それは自惚れでもあるし、自分で決めるってことだと思っている。

2017年はそういう流れです。書き起こしておきたいこと。
・「教育的」な音楽とは何か?
・コンテスト、とは?(2)
・一般団体は、いかに「音楽的」足りうるのか?
・アマチュアはどこまでアマチュアか。